木下琢朗Takuro Kishita

at 旧マッケンジー住宅中勘助文学記念館・杓子庵

山に分け入る。川を往く。森を経巡る。木下は、山川草木に聞き耳を立て、対話し、声なき声にカタチを与えていく。天と地、上(かみ)と下(しも)、彼岸と此岸を繋いでいく。わたしたちは木下のつくった物語という木舟に乗り込み、時には魚となって、その土地の記憶を頼りに両界を往還する。木下という美術家は、つまり「語り部」なのである。

《山から海へ》 2015
《富士山スイッチ》 2016

木下 琢朗(きした・たくろう)

1977年、静岡県御殿場市生まれ。2000年、東北芸術工科大学美術科彫刻コース卒業。大学卒業後、富山県で欄間彫刻を修行する。彫刻家/掛川市在住

2005年
「富嶽ビエンナーレ」入選/静岡県立美術館(静岡)
2007年
個展「こだまするカタチ」アートカゲヤマ(静岡)
2012年
個展「樹の声を聴く」春野山の村(静岡)
2014年
個展「生気遠出」ギャラリーYellow Passion(静岡)

近年では、その土地にある自然の素材を生かし、「記憶」を掘り起こし、「物語」を紡ぎ出す作品を発表している。

旧マッケンジー住宅

〒422-8034 静岡市駿河区高松2852

TEL:054-237-0573

開館時間: 9:00〜16:30
休館日:月曜日、11月4日(金)
バス: JR静岡駅南口より石田街道線「下島経由東大谷行」で「浜敷地」下車徒歩5分

※駐車場あり

静岡市で最初の名誉市民は誰でしょう。それは、エミリー・M・マッケンジー夫人です。夫のダンカン・J・マッケンジーは、静岡を拠点に日本茶の貿易と振興に大きな貢献をした人です。この住宅は、夫妻が建築家ウィリアム・M・ヴォーリズに設計を依頼し、風光明媚な海辺に、昭和15年に建てたものです。翌年12月の太平洋戦争勃発後も夫妻はそこに留まりますが、昭和18年に最終の日米交換船で帰米しました。戦後昭和23年に再来日を果たすものの、夫は3年後に永眠します。エミリー夫人はその後も静岡において、私財を投じ社会福祉事業に尽力しました。昭和47年の夫人帰国に際し、敷地の半分が静岡市に寄贈され、残り半分と建物は市が買い取りました。住宅は現在、国登録有形文化財として広く公開されています。

中勘助文学記念館・杓子庵

〒421-1201 静岡市葵区新間1089-120

TEL:054-277-2970

開館時間: 10:00〜17:00
休館日:月曜日、11月4日(金)
バス:しずてつジャストライン 静鉄新静岡(セノバ)または JR静岡駅北口より藁科線で「見性寺入口」下車

※駐車場:工事期間中につき2台程度

静岡市は、文豪・夏目漱石に見いだされ、『銀の匙』で有名な中勘助が暮らしていた旧前田邸と杓子庵を復元・整備し、平成7年、中勘助生誕110年(没後30年)を記念して、「中勘助文学記念館」を開館しました。昭和18年、東京から安倍郡服織村新間に転地静養した中勘助は、昭和20年に服織村羽鳥(現 静岡市葵区羽鳥)に移り、昭和23年東京は中野に戻るまでの間、『鶴の話』『ひばりの話』『鶯の話』『白鳥の話』『結婚』『余生』『遺書』、あるいは、詩や短歌、俳句などたくさんの作品を生み出しました。中勘助文学記念館では、実際に小説のモデルとなった銀の匙が展示され、肉筆の原稿なども観ることができます。