ゴンザレス・ウィルフリド氏へのインタビュー(1)

2013年11月21日、サールナートホールにて

Q:白井嘉尚
A:ゴンザレス・ウィルフリド

Q:作家になったいきさつをお話ください。

A:大学は、最初、フィリピン大学の経済学部に入りました。世界経済は金融システムなどさまざまな問題を抱えています。私には、自分が働いたことについて、その結果をすぐに目にしたいという思いがあります。経済分野では、経済の悪いところを直したいと思ってもできない。

大学4年の時、美術学部に入りなおしました。

私の作品は、経済を学んだことと無関係ではありません。美術分野では、現代アート作品もまた投機の対象となり、その値段がギャンブルのようにつり上がって行きます。それは、作品が「恒久的」であるという幻想に基づいています。それに対し私の作る作品は、人の命と同じくらい存続すればよいと思っています。私の作品が、その作品を好きになってくれた人と一緒に時を重ねられれば良いと思っているからです。私の作品は、投機の対象にはなりません。

フィリピン大学の美術学部では、彫刻科に在籍しました。またそこでは、油絵も学びました。しかし、そのころの彫刻科は指導体制がめちゃくちゃで、彫刻で卒業できる学生は10年間以上現れず、ほとんどが途中で絵画科に変わりました。

卒業制作には画廊での個展が求められました。私は、マニラ有数の大きな画廊で、個展をしましたが、卒業制作は彫刻作品とともに油絵の大作を37点発表しました。彫刻の指導教官からは、彫刻より絵の数が多いということで批判されました。油絵の教授は、絵も良いけれど君はやっぱり彫刻家だと言ってくださいました。

卒業制作個展 『SARI-SARING EKSENA NANG KATAWAN SA AKING UTAK(頭の中に感じる色んな体の動き展)』会場

ラタンの彫刻と油絵(180×120cm)、Kulay Diwa Gallery、Parañaque、Philippines、1988

Q:ゴンザレスさんの作品は、素材としてラタン(籐)を使うことに特徴がありますが、ラタンを使う理由をお話し下さい。また、いつ頃からラタンを使い始めたのでしょうか。

A:学生の頃からラタンを使っていました。経済学部をやめた理由に重なりますが、投機の対象になるようなアートが嫌いでした。

ラタンは、もともと生物/植物で、あたたかい感じがします。またラタンは針金のように思い通りの形に曲げることができません。私は、生きものであるラタンを勝手に支配することはできません。一本一本が特別なチャレンジです。

Q:フィリピンでは、彫刻の素材としてラタンを使うことに前例があるのでしょうか?

A:私が一人で始めました。先生から愚か者といわれました。先生の考え方は伝統的なもので、「長く持つ」ことが大事なことだったのです。

私がラタンを彫刻素材として使うようになってから、他にもラタンを使う作家が現れましたが、長く続きませんでした。ずっとラタンを使っているのは、私だけです。

Q:工芸や家具の素材としては、ラタンは一般的です。

A:私の作品は、工芸や日用品ではなくアート、「空間の中に立体的な絵を描く」という考えのものです。

《Thinking》、茶屋町画廊Ⅱ、大阪、1998

Q:ゴンザレスさんが日本に来た理由、切っかけは何でしょうか?

A:文部省の留学生になったことです。

妻のミミは、日本の親戚にキリストの福音を伝えたかったということがありました。ミミは、私が文部省の留学生に決まる前に、ヘッドハンティングされて日本で働くことになりました。